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年中行事 |
◆1月28日 不動明王護摩供養祭 |
◆春彼岸入りの日 施餓鬼会 |
◆8月14日 新盆供養会 |
◆秋彼岸中 うなぎ供養会 |
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当寺は、寛政年間(1789年〜1802年)と天保13年(1842年)に火災にあい、残念ながら重要な記録のほとんどを焼失してしまいましたが、残っている仏像・石塔その他から推察すると、天文(1532〜1554年)以前の開創と思われます。
古くは、善明院と称し堤村五本木(現在の堤町2丁目)にありましたが、桐生新町創設の折、由良氏の招請により、天正13年(1558年)頃現在地に移転したようです。
移転当初は、まだ善明院として布教活動していたようですが、寛永10年(1633年)幕府が統制を計るにいたり、慈光山善明院妙音寺と名称が変わり、江戸時代末期には、現在の平等山慈光院妙音寺となったようです。
天保の火災では、百体観音を安置したサザエ堂より出火したといわれ、本堂・庫裏に至るまで全焼しましたが、難を逃れた観音像が25体現存しています。
現在の本堂は、当山24世祐長の代に再建されたもので、昭和3年11月23日完成いたしました。
過去の火災や、大正12年の関東大震災を鑑みて、耐震耐火の鉄筋コンクリートで造られましたが、桐生では初めての事で、全国でも例がまだ少なく、大変苦労があったようです。
平成元年には、檀信徒会館善明閣が完成し、空手道を初めとする各種武道により、青少年の健全育成がおこなわれています。
又、現在中学生の副住職祐真(真魚)もダンスを得意とし、ストロングマシン2号の名でテレビ番組やCM等に出演し、国内はもとより海外からもイベントのオファーがくる人気ぶりで、妙音寺の布教活動を担っています。
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本堂
昭和3年11月23日完成
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不動明王三尊仏
十一面観音と如意輪観音を
脇侍とする珍しい三尊仏
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山門
書上家から移築された山門
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